第35回 日米開戦 ハワイ真珠湾攻撃

 六十九年前の日米開戦の日、私は小学校の五年生でしたが、あの昭和十六年十二月八日の朝を今でも鮮明に覚えております。吐く息が白く見えるくらいに寒い、よく晴れた月曜日の朝でした。大塚駅裏手にある天祖神社の清掃当番に当たっていて、午前七時ちょっと前、それを済ませて帰って来たところへ、舘野守男アナウンサーの「臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます」。そして「大本営陸海軍部発表 十二月八日午前六時 帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」。びっくりしましたし、西太平洋ってどこなんだろうと思いましたが、午後になって海軍がハワイのアメリカ艦隊に決死的大空襲を敢行、シンガポール、ダバオ、ウエーク、グアムを爆撃したことも発表され、日本中が歓喜と興奮の渦に巻き込まれたのです。

 「世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた。昨日は遠い昔のようである」。中央公論に、こう書いたのは詩人の高村光太郎です。作家の伊藤整は日記に、「私は急激な感動の中で、妙に静かに、ああこれでいい、これで大丈夫だ、もう決まったのだ、と安堵の念の湧くのを覚えた。この開始された米英相手の戦争に、予想のような重っ苦しさはちっとも感じられなかった。方向をはっきり与えられた喜び、弾むような身の軽さがあって、不思議であった」。東大の安田講堂を設計した建築学者の岸田日出刀も、「わたしの一生のうちで、これほどの感激の一瞬はまたとあるまい。来るべきものが遂にきたという厳粛な気もちだけに、言い知れぬ感激をおぼえるだけである」と言っています。

 東条英機首相をはじめ、日本の最高指導部が、何をどう考え、またどう論議判断して、開戦を決定するに至ったかは、敗戦まで最高の国家機密で、国民には知らされませんでした。ただ、春から始まった日米交渉に進展がなく、石油もストップされて、日米開戦が一触即発の状態になっていることは、誰もが肌で感じていました。国民の多くは、支那事変を軍部の宣伝のままに、「正義の戦いだ」と思っています。それなのに、何で米英が干渉してくるのか、反発を強めていました。ですから、この日米開戦に、それも開戦早々の大勝利とあって、一流の文化人、知識人といった人たちまでが、それまでの何かうっとうしい、もやもやしたものが一気に晴れ、清々しい青空が広がったように感じたのです。

 

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