第36回 東京初空襲とミッドウェー海戦

 昭和十六年十二月八日、ハワイ真珠湾攻撃で幕を開けた太平洋戦争は予想以上の成功のうちに進められました。海軍はアメリカ太平洋艦隊、イギリス東洋艦隊を撃破し、新聞には連日のように「撃沈」、「轟沈」といった威勢のいい活字が躍りました。陸軍もフィリピンのバターン半島攻略に手間取ったくらいで、香港、マニラ、シンガポールの要衝を相次いで占領しましたし、戦争には欠かせない石油も、落下傘部隊の奇襲攻撃でボルネオ、スマトラの油田地帯をほとんど破壊されることもなく確保出来ました。何しろ半年足らずの間に、西はビルマからマレー半島、ジャワ、スマトラを経て、ニューギニア東方のソロモン諸島に至る広大な地域を占領下に収めたのです。連合軍の捕虜二十五万人、撃沈した軍艦は百五隻を数え大中破九十一隻。日本の損害は戦死約七千人、艦船二十七隻でしたが、巡洋艦以上の大型艦は一隻もありません。国内は連戦連勝に沸き立ち、何となくもう戦争が終わってしまったような、そんな安堵感に包まれた半年間だったのです。

 それが攻守一挙にところを変え、この戦争の大きなターニング・ポイントとなったのが、これからお話するミッドウェー海戦です。開戦からちょうど半年、十七年六月五日のことですが、それも普通に戦えば負けるはずのない戦いだったのです。日本海軍が動員した兵力はアリューシャン攻略作戦も含めてですが、空母八隻、戦艦十一隻、巡洋艦が二十一隻。艦艇は大小実に二百隻を超え、飛行機も約六百機と、文字通り連合艦隊の総力を結集したものでした。対するアメリカは空母三隻、戦艦はなく巡洋艦も八隻に過ぎません。圧倒的な戦闘力の違いでしたし、パイロットの技量の点でもその頃はまだ米軍は日本の敵ではありませんでした。飛行機の性能もアメリカは開発途上の段階、日本海軍の誇るゼロ戦、零式艦上戦闘機に対抗出来るような優秀な戦闘機、攻撃機は持っていなかったのです。それなのに日本海軍は、なすところもなく敗れてしまいました。主力空母六隻のうち四隻が沈没し、まさに目も眩むような損害でした。これで太平洋の制空権、制海権を失うことになり、米軍の本格的な反攻を許すことになったのですから、日本敗北の運命はこの時、ほとんど決定的になったと云ってもいいでしょう。

 

(続きは講演録全文をダウンロードしてください)

第36回 東京初空襲とミッドウェー海戦 講演録.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 8.2 MB
第36回 東京初空襲とミッドウェー海戦 配布資料(メモ・年表・地図).pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 2.5 MB