第40回 学徒出陣と勤労動員

 「学徒出陣」と聞いて、戦争を経験された方ならまず頭に浮かぶのは、明治神宮外苑陸上競技場で行われた文部省主催の「学徒出陣壮行会」、あの雨の中の行進ではないでしょうか。昭和十八年十月二十一日、朝から冷たい雨の降りしきる寒い日でした。東京近辺七十七校の学生三万五千人が、制服制帽にゲートル姿、銃剣をつけた三八式歩兵銃を肩に担いで、それぞれの校旗を先頭に水しぶきをあげながら行進したのです。歩調を高くとった雨中の行進が、一層の悲壮感を掻き立てました。

 太平洋戦争では大勢の若者が犠牲になりましたが、その悲惨さを最も端的に象徴するシーンとして、テレビの戦争番組というとよくこの場面が取り上げられましたし、また皆さんの中にもご自身、あるいはご家族が学徒出陣されて、特別な感慨をお持ちの方がいらっしゃると思います。学生はそれまで、「学業に励む」という理由で徴兵が猶予されていました。それが戦局の悪化でその特典が停止され、満二十歳の徴兵年齢に達した学生は、理工系と医学部、師範学校の学生を除いて、卒業を待たずにみんな戦場へ駆り出されることになったのです。

 競技場のスタンドは、見送りの家族や後輩、中学生、女学生など六万五千人で埋め尽くされました。東条英機首相が、すっかり有名になったキンキン声を張り上げて、藤田東湖の詩「天地正大の気、粋然として神州に鍾る」。この句を引用し、国難に身を挺して赴く若者たちを賛美、激励すれば、東京帝国大学の江橋慎太郎が出陣学徒を代表して、答辞を述べました。「生等今や見敵必殺の銃剣を掲げ積年忍苦の精神研鑽を挙げて悉く此の光栄ある任務に捧げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。生等もとより生還を期せず」。

 会場には「海ゆかば」、「紅の血は燃ゆる」の大合唱が起こり、帽子やハンカチを振る者、歓声に拍手がこだまし、神宮の杜は興奮の渦に包まれていったのです。駒沢女学校の生徒だった直木賞作家の杉本苑子さんは、「ワアワア泣きながら隊列を乱して、その出て行く人たちのあとを追っていった。『行ってらっしゃい、行ってらっしゃい』って…」。こう話していますが、びしょぬれの日の丸の小旗が破けて棒だけだったのを、夢中で振り回していたそうです。

 私がこの場面を見るたびに、いつも胸を締め付けられるように思うのは、果たしてこの中で何人の人が無事に帰って来られたのだろうか、ということです。出陣学徒は、この年だけで全国で推定十三万人余り。十月二十五日から本籍地で徴兵検査を受け、陸軍は十二月一日、海軍の場合は九日と十日に、それぞれの思いを胸に秘めて入隊していきました。そして徴兵年齢は十二月には、十九年度から十九歳に引き下げられることが決まったのです。

 

(続きは講演録全文をダウンロードしてください)

第40回 学徒出陣と勤労動員 講演録.pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 7.5 MB

*上記講演録のうち、11ページが欠落しています(代わりに12ページが重複)。これは原本の紛失によるものですので、ご容赦くださいますようお願いいたします(管理人)

第40回 学徒出陣と勤労動員 配布資料(メモ・年表).pdf
Adobe Acrobat ドキュメント 1.9 MB