第52回 終戦の「聖断」下る


 三年八か月余りにわたった太平洋戦争は、昭和二十年八月十五日、「聖断」とい う天皇の決断によって、大きな混乱もなく終わらせることが出来ました。もし遅れて米軍の本土上陸作戦が始まっていたら、国民は否応なしに本土決戦に巻き込 まれ、その死者は莫大な数にのぼっていたでしょうし、国土も完全に破壊されていたでしょう。戦後のあれほど早かった復興は、とても望めなかったし、あるいはソ連軍が北海道に上陸して来て、本土分割ということになっていたかも知れま せん。

 まさに危ういところで最悪の事態を免れることが出来たわけですが、この「聖断」について、「昭和天皇と時の首相鈴木貫太郎の、『君臣一如』の見事な合作であった」。こう言うのは、当時侍従長をしていた藤田尚徳です。鈴木も藤田も共に海軍大将ですが、鈴木は海兵十四期、藤田が二十九期ですから、藤田にとって鈴木は海軍の大先輩であるばかりでなく、侍従長としても鈴木は、昭和四年から十一年の二・二六事件で襲撃されて瀕死の重傷を負うまで七年余りも務めていて、 天皇の信任は極めて厚いものがありました。

 その藤田が「一生忘れることは出来ない」と言うのは、昭和二十年四月五日、鈴木が組閣の大命を受けた時です。藤田は、東京十二チャンネル、現在のテレビ東京の「終戦前夜」という番組で、こう話しています。その時の雰囲気が実によく分かりますので、そのままご紹介しますと、「あれは夕方だったと思いますな。 当時枢密院議長だった鈴木さんをお召しになりましてね、私一人侍立していまし たが、出しぬけに『卿に組閣を命ずる』と、こう仰せになった。いつもですと、陛 下はさらに『組閣したら憲法を守るように、外交は気をつけて無理をしないよう に、経済は混乱を起こすことをしないように』という三つの条件をおっしやるのですが、鈴木さんには何にもおっしやらなかったんです。ただただお前に頼む、 というように拝されました。鈴木さんは謹厳な方ですから、自分は武人として育ってきたもので、政治に関与しないという明治天皇の勅諭を奉じて今日まできた と、どうかお許し願いたいって、背中を丸くしてお辞儀しながら言われたんですな。すると陛下がニッコリお笑いになって、鈴木がそう申すであろうことは、私 にも分かっておったと。しかし、この危急の時に当たって、もう今の世の中に他に人はいないと。つまり、頼むという別の言葉ですな。是非やってくれというよ うな意味のことを仰せになった。私は、あの時のことは一生忘れられませんな」

 天皇は昭和二十年年頭の御題「社頭寒梅」に、「風寒き霜夜の月に世をいのるひろまへきよく梅かおるなり」と歌われています。「風寒き霜夜」は、明らかに厳しさを増している戦況のことで、天皇は梅かおる世の平安を祈られていたのです。 そして、内大臣秘書官長の松平康昌が「陛下は、鈴木ならば自分の肚の中を全部吐露して話が出来る、といったお気持ちを、平素から抱いておられた。このお気持ちは、陛下より直接私も承っている」。こう語っているように、天皇の和平への願いは、以心伝心的に鈴木にもはっきり伝わっていたのです。

 それにしても、鈴木は当時七十七歳でした。米軍は四月一日に沖縄本島に上陸 して来ていましたし、この国家的危機に、なぜ高齢の鈴木だったのでしょうか。 戦時宰相の資質として、何が一番大切なのかと言えば、それは日本と世界の力関係について、どれだけ客観的な認識を持っているかということでした。開戦時の首相東条英機、その後を継いだ小磯国昭にしても、陸軍出身の首相が日本の力を過信していた中で、海軍出身の鈴木は世界の中の日本について、しっかりした認識を持っていました。それは、「鈴木貫太郎自伝」の次の言葉からも、よく分かり ます。「戦争というものは、あくまで一時期の現象であって、長期の現象ではないということを知らねばならない。敗けるということは、滅亡するということと違うのであって、その民族の活動力さえあれば、立派な独立国として世界に貢献することもできるのであるが、玉砕してはもう国家そのものがなくなり、再分割 されてしまうのだから、実も蓋もない」

 軍部が「本土決戦、一億玉砕」を声高に叫んでいる時、こうした考えの首相が 誕生したことは、日本にとって何よりの救いでした。まさに「救国の首相」でしたが、小磯内閣が総辞職した時、後継首相に鈴木を推薦したのは、岡田啓介など重臣たちの多数派の意見でした。誰も口には出しませんでしたが、この老人に戦争の収拾を期待し、それは内大臣木戸幸一の考えでもあったのです。

 
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