第53回 八月十五日 戦争終わる


 日本の終戦を決めた歴史的な御前会議は、昭和二十年八月十四日午前十時五十分から、宮中の地下防空壕で開かれました。それにしても、 ここまで来るのに、何と時間のかかったことでしょうか。内大臣の木戸幸一は、戦後GHQ連合軍総司令部の「日本の終戦努力を通じて、最も重大と感じた時機はいつか」。この質問に対して「八月十二日から十五日迄の間、殊に十三日なりき」と答えていますが、 十日未明の御前会議で終戦の聖断が出ていたのに、それが二度目の聖断を必要とすることになったのは、「ポツダム宣言」受諾通告に対するアメリカ国務長官バー ンズの回答をめぐつて、大きな揺り戻しが起きていたからなのです。

 「バーンズ回答」で問題になったのは、まず「降伏ノ時ヨリ天皇及日本国政府ノ 国家統治ノ権限ハ連合軍最高司令官ニ s ubj ect t o」となっていることで した。そのまま訳せば、「従属」または「服属」になります。外務省は国体論者を刺激しないように、「制限ノ下ニ置カルルモノトス」と穩やかな表現にしましたが、 陸軍は「隸属する」と最も衝撃的な翻訳です。もう一つは「最終的ノ日本国政府ノ 形態ハ日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ決定セラルべキモノトス」。徹底抗戦派は「天皇統治の大権を認めておらず、国体の本義に反する人民政府を認めている」。これでは国体護持、つまり天皇制は守れないと、勢いづいたのです。

 しかし、昭和天皇の終戦の決意は、もう不動でした。十二日の午後、木戸が拝謁して、こうした見解を申し上げたところ、「それは問題にする必要はない」と言われたのです。「もし、国民の気持ちが皇室から離れてしまっているならば、 たとえ連合国側から認められても、皇室は安泰ということにはならない。反対に国民が依然皇室を信頼してくれるのなら、それを国民が自由に表明することによ つて、皇室の安泰も一層決定的になる。これらの点をハッキリ国民の自由意思の表明によって決めてもらうことは、良いことだと思う」。木戸は「煩悶は一時に消え、私はパッと眼が開いたような気持ちになりました」と言っていますが、天皇は天皇制の維持とか皇室の安泰などをはるかに超えて、国家や民族の根幹を残すことを考えておられたのです。木戸は夜九時半、鈴木貫太郎首相を呼び出して天皇の言葉を伝え、「たとえ、国内に動乱等起こる心配ありとも終戦断行」。こ の意見で、二人は一致したのです。

 十三日朝の最高戦争指導会議は、聖断に従い「ポツダム宣言」受諾を主張する鈴木首相、東郷茂徳外相、米内光政海相。これに対して「これでは国体護持が保障されない。再度照会すべきだ」とする阿南惟幾陸相、梅津美治郎参謀総長、豊田副武軍令部総長と、三対三で対立したまま纏まりません。午後四時からの閣議 も、受諾に賛成は総理一任を含め十三人、反対が阿南陸相、松阪広政法相、安倍源基内相の三人で、閣内の意見一致を見るに至りませんでした。ここで鈴木首相は、終戦へ向けて確固たる決意を示したのです。「陛下がご聖断をお下しになっ たのは、もっと高いところから、日本という国を保存し、日本国民を労わるとい う広大な思召しによるものと拝察する。私は、このご聖断のとおり戦争を終結せしむべきものと考えるが、今日の閣議の摸様をありのままに申し上げて、明日重ねて聖断を仰ぐ所存であります」

 重ねての聖断を予告し、十四日午前十時から臨時閣議を開くことにして、閣議 は解散しましたが、問題はその御前会議をどうやって開くかです。御前会議の奏請には、奏請状に首相のほか両総長の署名、花押が必要でした。十日未明の時は 内閣書記官長の迫水久常が手回しよく、期日未記入の奏請状に二人の署名、花押をとっておいたので開けましたか、今度はそうはいきません。両総長とも再照会論で、御前会議開催には反対していましたから、通常の手続きでは両総長の署名が得られないことは明らかです。

 十四日の朝、内大臣の木戸が愕然としたのは、侍従が持って来た一枚の宣伝ビラでした。B29が空から撒いたもので、降伏の交渉条件が日本語で書き並べてあるのです。これを全国の軍隊が読んだら、どんなことになるか。軍部の大規模反乱は必至であり、その前に終戦を断行しなければ…。そう思って、午前八時半に参内し御前会議開催をお願いしたのですが、天皇も「すぐ首相と相談せよ」と言わ れます。そこへ鈴木首相が参内して来たので、二人で一緒に拝謁して、最高戦争指導会議と閣僚の合同会議を、それも「天皇直々のお召」という前例のない形で開 くことにしたのです。首相官邸には、臨時閣議出席のためすでに閣僚が集まっていましたが、直ちに全閣僚、それに統帥部の両総長、枢密院議長の平沼願一郎に 「天皇のお召である」として、「平服にて差し支えなし。午前十時半までに吹上御苑に参集せよ」との呼び出しがかけられました。真夏の暑い閣議の積もりで、ノーネクタイの閣僚もいましたが、秘書官のネクタイを借りて、あたふたと皇居へ駆けつけたのだそうです。

 
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