第10回 満州 日米対立の火種

 きょうの話の舞台は、日露戦争で戦場となった満州です。満州というのは、中国東北地方。清朝の時代、万里長城の海側の起点である山海関から東の地域、奉天省、吉林省、黒竜江省の三省を「東三省」と言いましたが、ここに満州族が多く住んでいたので付けられた地名です。そしてこの満州こそが、満州事変に始まり支那事変から太平洋戦争へと発展する.....(続きはこちら

第11回 軍部の台頭と西園寺公望内閣

 日本の昭和の歴史は、出先の軍隊が勝手に火を点けて、軍部の暴走のままに満州事変から支那事変、太平洋戦争へと、戦争に引きずられていった歴史でした。誰かがどこかで止められなかったのか、大変残念な気が致しますが、軍部はオールマイティとも云うべき強大な権力を握っていました。その一つが「統帥権」といって.....(続きはこちら

第12回 軍部と大正政変

 大正時代というと、どうでしょうか。大正天皇が病気がちで、在位期間十五年と短かった。そんなこともあって、明治の四十五年、昭和の六十三年に挟まれた「谷間の時代」といった感じがあります。太平洋戦争で一番多くの犠牲者を出したのも、この大正世代でした。大正の未に流行った「おれは川原の枯れすすき」とか「寵の鳥」といった、やるせない.....(続きはこちら

第13回 シーメンス事件と山本権兵衛内閣

 低迷する景気に、先行きの見えない改革。今年(平成15年)こそ何とかいい年であってほしいと思いますが、実はちょうど九十年前、やはり「行財政整理」と「構造改革」が歴代内閣最大の政治課題になっている時、これを見事に断行した総理大臣がいるのです。それも首相就任後わずか四か月でやってのけたのです。先月お話した大正政変の直後、大正二年二月に首相となった.....(続きはこちら

第14回 第一次世界大戦と日本

 きょうは、大正三年から四年間、ヨーロッパを戦乱の渦に巻き込んだ第一次世界大戦で、日本はイギリスとの同盟、日英同盟を大義名分にしてドイツとの戦争に入りましたが、これがその後の日本にどんな影響を与えたのか。時の首相大隈重信を中心に話してみたいと思います。大隈は肥前佐賀藩の出身ですが、長州閥の総帥で、陸軍の大御所と云われた山県有朋と.....(続きはこちら) 

第15回 シベリア出兵と寺内正毅内閣

 きょうは、ロシア革命をきっかけに始まったシベリア出兵について、時の寺内正毅内閣を中心に話してみたいと思います。今シベリアと云うと、たいていの方がまず思い浮かべるのは、敗戦後の「シベリア抑留の悲劇」ではないでしょうか。それほど八十五年前のシベリア出兵は、遠い出来事になってしまいました。日本がウラジオストックに.....(続きはこちら

第16回 ワシントン会議と加藤友三郎

 きょうは、「軍縮の時代」を開くことになったワシントン会議と、海軍大臣としてこの会議の首席全権を務めた加藤友三郎についてお話します。ワシントン会議というのは、海軍の軍縮を主なテーマに、一九二一年、大正十年十一月からワシントンで開かれた国際会議です。日本は、戦艦、巡洋戦艦といった主力艦について対米七割.....(続きはこちら

第17回 陸軍の軍縮と軍国化への道

 きょうは先月お話した「海軍の軍縮」に続いて、「陸軍の軍縮」 の話をします。大正十一年二月のワシントン会議で、日本は戦艦など主力艦について、いわゆる「五・五・三」、アメリカやイギリスの五に対して、日本は三と六割の比率を受け入れました。第一次世界大戦が終わり、「戦争はもうこりごり」という平和待望ムードもありましたし.....(続きはこちら